プロフィール

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  こんにちは。ようじろう です。

 

  私のブログを訪問していただきありがとうございます !

 

  アフィリエイトは誰にでもできる、夢のある素敵なビジネスですが、
  稼ぐためには、ちょっとしたコツや秘訣があります。

 

  アフィリエイトで稼ぐための方法を身につけて
  夢を叶えましょう !

 

 

こちらは私の自己紹介ビデオです。、
自己紹介動画を作る際の参考にもしていただけると思います。
楽しんでください!

 

 

 

 

 


 

 インフォトップ 実績
プロフィール

 

 A8 実積
プロフィール

 

 

 

 

yojiro4

 

ハンドルネーム:ようじろう
出身:和歌山県(現在も在住)
年齢:58歳(2児の新米パパ。3歳5ヶ月の女の子と1歳6ヶ月の男の子がいます。)

 

子供たち
プロフィール

 

離婚歴:バツイチで、再婚しました。
誕生日:10月27日
星座:さそり座
血液型:B型
干支:ひつじ

 

仕事:全集もの書籍の営業、プラスティック工場の工員、トラックドライバー、
    シロアリ駆除業者、不動産営業など様々な職業を経て、現在整体師。

 

趣味:映画を観る。面白い本を読む。社交ダンス。

 

社交ダンス仲間
プロフィール

 

今まで興味を持って取り組んだもの:アマチュア無線。クラッシック・ギター演奏。
インドネシア語会話。社交ダンス。

 

性格:楽天的。面倒くさいことが嫌い。
好きな言葉:人は夢を叶えるために生きている !

 

 

夢:今の家が老朽化しているので、家を新築すること。

 

 

 

 

1955年(昭和30年)、長崎出身の父と和歌山出身の母の間に
長男として大阪で生まれました。

 

機械工の父の収入は低く、母は赤ん坊の私の面倒を見ながら
内職として一日中、浴衣を縫っていたそうです。

 

幼児の時に、母の故郷・和歌山県に移転しました。

 

橋杭岩の画像

 

母のふるさと和歌山は、海あり、山あり、川ありの本当の田舎です。
最近は熊野古道でも有名になりましたが。
私は最高の自然環境の中で育ちました。

 

 

 

子供の頃の夏は、海や川で泳ぎ、山に入っては、木の実を採ったり、
用水路でイモリを捕まえたり、仲間と基地を作って遊んでいました。

 

また、石ノ森章太郎の漫画『サイボーグ009』に魅せられショックを受けて、
漫画家になりたいと思ったのもこの頃です。

 

下手くそながら、『少年マガジン』に載っている漫画の主人公を描いては得意になっていました。
平凡で他愛ない子供時代です。

 

中学生になったある日、とんでもないことを母から聞かされました。

 

原爆ドームの画像

 

父親は、長崎に原爆が投下された日に長崎市内にいたというのです。

 

爆心地からは離れていたようですが、父はたぶん被爆者・・・。
被爆2世という言葉が私の頭の中に黒く広がって怖くなりました。

 

私は、ただの貧乏な家庭に生まれた普通の子供ではなかったのか ?

 

プロフィール

 

それからの私は、早熟な子供になったようでした。

 

中学生当時の日記を見ると、自分でも恥ずかしくなるような
バカがつくほど真面目なことが書かれています。

 

あちらこちらに、生きることの意味や、人生とは何かを仰々しい口調で書き込んでいるのです。

 

父は、なぜか原爆のことを全く話しませんでしたが、
私は、
「20歳まで生きられないかもしれない!」
「被爆者の子供だから、白血病になるかもしれない!」
と恐れ、
「いつ死んでも後悔しないように、毎日を精一杯生きよう!」
と考えるようになったのです。

 

 

今の私は、少し見習わなければなりません。

 

 

 

でも、人間というのは、良い意味でバカです!
時間が経つと、恐ろしい考えや不安も薄らいでいきます。

 

中学時代のある日、友達の家で聴いたギターのレコードが、
私に別の世界があることを教えてくれました。

 

レコード盤の画像

 

そのレコードは、ギターの通信教育講座に勧誘するためのもので、
世界の名ギタリストたちの模範演奏が入っていました。

 

なかでも、ナルシソ・イエペス(『禁じられた遊び』で有名)の演奏する練習曲『月光』、
ダビッド・モレノの奏でる『花祭り』は、強烈に私の心を揺さぶりました。
目の前の景色が変わるほどのショックでした。

 

さっそく私も、そのレコード『東京音楽アカデミー・ギター講座』の案内版を取り寄せ、
すぐに講座に入会しました。

 

レコードの練習曲『月光』を聴くたびに、

 

「なんて美しい曲なんだ !」
「世の中にはこんなに美しい音楽があるんだなあ !」
「こんなにあたたかく心に響くギターの音色にめぐり合えて、自分は本当に幸せだ !」

 

そんなふうに感じていました。

 

このころの我が家の経済状態は、
父が電気店を始め、母が飲食業を営んでいたので、
一般的な水準になっていました。

 

「ギターが欲しい」と言うと、父は中古のギターを買って来てくれました。

 

暇があれば私は、うっとりとしながら、あるいは鬼のような形相で、
ギターばかり弾いていました。

 

それが私のギター馬鹿の始まりです。

 

 

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高校進学の時は少し迷ったのですが、工業高校の電子科に進みました。

 

父親のやっている電気屋を継ぐかもしれないと思っていましたし、
中学生の時にアマチュア無線の資格を取ったりして、
電子工学にも興味があったのです。

 

高校でのクラブ活動は、ギタークラブです。
仲間と二重奏や三重奏で、『二つのギター』や映画音楽をよく練習しました。
文化祭や予餞会では、ステージでギターを弾きましたが、ドキドキする反面、
とても刺激的で楽しい時間でした。

 

クラシックギターの画像

 

得意曲は『アルハンブラ宮殿の思い出』、『ラ・クンパルシータ』。

 

高校へは電車で通っていました。
田舎のことなので、通学に使える電車は1時間に1本くらいしかなく、
待ち時間を埋めるため本を読む習慣ができました。

 

なので、私の高校生活は、
ギターを弾きまくったり、
アマチュア無線の趣味が高じて、本を参考にしながらラジオを組み立てたり、
次々に小説を読んだりして過ぎていきました。

 

試験前以外に勉強をした記憶はありません。

 

 

ギター馬鹿は、どこまでいってもギター馬鹿です。

 

 

 

高卒後の進路を決めるときに、私は前代未聞の選択をしたのです。

 

「○○くんはIBMに内定したし、△△くんは関西電力に行く・・・。」
「□□くんは、電機大に進学だ・・・。」

 

「K、君だけだよ。音楽学校に行くなんて・・・まったく !」
「初めてだよ。この学校から音楽へ進むなんて・・・、
それほどギターが好きなのか ?」

 

進路指導の先生は呆れていましたが、
私の決心が硬いと判断して、それ以上は言いませんでした。

 

音符の画像

 

春になり、私は意気揚々と東京に行き、晴れて音楽学校の学生になりました。

 

学生たちは音楽学校にやってくる連中ですから、
当たり前ですが、ピアノでも、ギターでも、声楽でも上手い奴がゴロゴロいたのです。

 

同じギター専攻の学生の中にも一人ずば抜けて上手な奴がいました。
指もよく動きましたが、表現力に独特のセンスを持っていて、
彼がギターを弾くとみんな聞き惚れてしまうのです。

 

彼はすでに専門家の先生に習っていて、通信講座で勉強しただけの私とは実力が違いすぎました。

 

愚かにも、ギタリストを目指していた私は、思いっきりへこみました。
「自分のやっていたギターは何だったんだ ?」

 

それからは、もっとテクニックをつけなければとギターの練習に励みました。

 

 

ギター漬けの日々も急速に流れていきます。

 

音楽学校での生活が終わっても、
私のギターの腕前は大したものにはなっていませんでした。

 

まだまだ、ギターを勉強したかったけれど、
親からの仕送りは学校を卒業するまでという約束だったので、
まず生活をするために働くことにしました。

 

それからは何年も仕事をしながらギターを続けました。

 

ウィーンやスペインの留学から帰ってきたプロのレッスンを毎週受けていました。
家賃の安いアパートに住み、隣の部屋の住人から苦情が来るのを恐れながら
ギターを練習していました。

 

ギターを弾く人の画像

 

私のやっていたクラシックギターで成功する近道は
コンクールで上位入賞することです。

 

それで私もギター・コンクールには何度も応募していました。
1次予選は通るのですが、いつも2次予選で敗退です。

 

音楽のコンクールでは、たいてい課題曲と自由曲を演奏することになります。
あるコンクールで私は、かなり技術的に難しい曲を自由曲に選びました。

 

「今度こそ、2次予選を通過して、本選で弾いてやる !」
「3位までに入賞するんだ !」

 

課題曲は以前レッスンで習っていた曲だったので完全に出来上がっていました。
難しい自由曲の技巧の必要な部分もほとんど仕上がってきました。

 

この自由曲を弾くために私は、右指に特殊な訓練を施していたのです。

 

「やったぞ。もう少しで完成する」

 

コンクールで入賞者の名前を読み上げられるシーンまでイメージできていました。

 

ある日曜日の朝、今日は1日中練習できるから曲の表情を考えようと思い、
ギターを取り出しました。

 

自由曲を軽く弾いていきます。

 

私の選んだ自由曲、ロドリーゴ作曲「祈りと踊り」は、
静かな瞑想的な部分、哀愁を持った旋律、不思議な踊りの要素を含んだ
ギター曲で、演奏者の技術や表現力をアピールでするのに最高の作品なのです。

 

弾いているうちにある箇所に来ると、音符が欠けることに気がつきました。

 

3つの音を弾いたのに、音は2つしか出ていません。

 

もう一回、もう一回と、同じ箇所を弾いてみます。
やっぱり、音が欠けている。

 

楽譜の画像

 

 

「右指がおかしい !」
「空振り・・・ ?」

 

「人差し指で弾く音が出ていない !」

 

何度やっても、私の人差し指はギターの弦を捉えることができずに空振りします。

 

「昨日まではこんなことがなかったのに、何故だーっ !!」

 

自由曲『祈りと踊り』。
何度繰り返しても、音の欠けたイビツな曲になってしまう。

 

私の指は故障していたのです。

 

 

プロフィール

 

後で知ったのですが、ピアノやギターを練習していて指を壊してしまうことは多いのです。

 

その人の筋肉が持っている力の限界を超えてしまうと壊れることになります。
野球やテニスの選手がよく肘を痛めたりするのと同じです。

 

指を壊してしまったので、目前に迫っていたギター・コンクールは当然、棄権しました。

 

それでもなんとか指を治そうと、腱鞘炎の改善で成果を上げていた先生のところにハリ治療に通いました。
1年ほどハリの先生にお世話になりましたが、一進一退を繰り返し、治る見込みのない指に私は落胆しました。

 

 

ギターを辞めてしまったのです。

 

20年近く生きることの全てだったギター。
私の心には大きな穴が空きました。

 

空虚感のイメージ画像

 

心が、空っぽになってしまいました。

 

ギター、ギターで生きてきた人間からギターを取り上げるとどうなるのか?
人間には生きる目的が必要です。

 

目的を失うと、人間はただ時間の中で流されていくんだ。
そんなことを指の故障で学びました。

 

 

中学生の頃から私の中に住み続けていた、
「 被爆二世だから早く死ぬかもしれない」という恐怖は、
もう心の最深部に沈められていました。

 

もう記憶も曖昧ですが、
何かの本で、「被爆者の子供であっても健康を害したり、病気になるとは限らない !」
という記述を読んだからです。

 

この時、自分の心の中にある闇がスーっと明るくなった気がしました。

 

もう原爆のことを考えるのはよそう、と思いました。

 

もっと文献などを調べれば、はっきりと恐怖をぬぐい去れたかもしれませんが、
その反対により恐怖を味わうかもしれないと考えたのです。

 

私は、意気地なしなので、怖いものを忘れようとしたのです。
臭い物に蓋をしたのでした。

 

 

指を故障してギターをやめてしまってから、数年間を私は無駄に過ごしてしまいました。
何をする気にもなれず、
虚ろな目をして、ただ単に生きていただけです。

 

当時結婚していた妻にも逃げられました。

 

仕事は続けていたので、生活は普通にできていました。
お金の問題ではなく、
妻は、生きていく情熱のなくなった私に嫌気がさしたのでしょう。

 

 

プロフィール

 

整体師の画像

 

父親がガンで入院していた時、家族は交代で父の病室に通っていました。

 

父は、もうすでに手術もできないほど悪くなっていたので、死を待つしかなかったのです。

 

でも父親には、それは内緒にしていました。
「重い胃潰瘍だから、じっくり養生をしないといけない。時間もかかる」
と家族みんなが嘘をついていました。

 

ただ少しでも、楽に過ごして欲しい、とみんなが考えていたので、
父の欲しがるものは何でも用意して病院に持って行き、
腰が痛いといえば、腰をもみ、足がだるいと言われれば足を撫でさすりました。

 

ある日、仕事に都合がうまくついて、家族全員が病室にいました。
そろそろみんな帰ろうかという雰囲気になった時、
父が言いました。
「T(私の本名)、お前だけもうちょっといて欲しいんだ。脚をもんで欲しい。」

 

父は母に
「Tはマッサージがすごく上手いんだ。本当に気持ちが良いよ」
と何度も言っていたそうです。

 

 

父の言葉がきっかけで、私は整体師になりました。
こんな自分でも、得意なことを生かし、人に喜んでもらえる仕事があることに気づいたのです。

 

整体師養成学校の課程を修了した後、
私は、田舎の和歌山に帰って整体院の看板をあげました。

 

私のちょっとした作戦が当たって、整体師の仕事は順調に始まりました。
次々にお客さんがやって来るので、毎日がクタクタになって痛む自分の指をさすりながら眠る日々でしたが、
充実していました。

 

「肩こりからくる頭痛が治った !」
「腰痛が楽になった !」と患者さんが喜んでくれるので、
私は整体師の仕事に生きがいと誇りを感じていました。

 

 

プロフィール

 

クラシックギターの画像

 

ある時、整体院のお客さんに「社交ダンスをしない?」と持ちかけられました。

 

それまでも、何人かのオバさまに誘われてはいたのですが、
自分に社交ダンスは似合わないと思っていたので、断っていたのです。

 

でも、この時は魔が差したというのでしょうか、
やってもいいと答えてしまいました。

 

誘ってくれた人が、私よりも年下で魅力的なボディラインの持ち主だったのです。

 

少し緊張して、初めてダンスサークルに参加しました。

 

以前のテレビでやっていた『ウリナリ』や映画『Shall We ダンス?』で見た世界がそのまま、そこにありました。

 

オッチャン、オバチャンがぴたりとくっついて、真剣な表情で優雅なワルツを踊っていました。
日常とはまるで異次元の光景です。

 

レッスン初日は足の移動のさせ方(ステップ)がまるで理解できずに頭が混乱しました。

 

「はい、次は右足前進。」
「左足、横」
「両足、揃える」

 

先輩の60歳くらいのおばさまにとっ捕まって、1時間ほど引っ張り回されました。

 

でも、少し慣れてくると私はダンスにハマってしまいました。
音楽に合わせて体を動かすのがこんなに楽しいなんて・・・。

 

頭の中ではいつもダンス音楽が流れ、
少しでも時間があると自宅の畳の上でもダンスのステップを踏む自分がいました。
もう完全にダンスに酔っていました。

 

競技会(社交ダンスの試合)にも出場したり、ダンスパーティーにも参加して本当に熱中していました。
社交ダンスは、衣装といい音楽といい、派手で非日常的な世界です。
だから、色々なことを忘れて没頭しました。

 

 

プロフィール

 

54歳の時に2度目の結婚をしました。
相手は整体院のお客様の娘です。

 

「一体、何をしたんだ?」
「何か変なことでもしたんじゃないのか?」

 

そんな風に言われました。友人や知人や、お客様たちにも。

 

でも、何も変わったことはしていません。
お客さんの娘だったので、すぐに親近感は覚えました。

 

小さな手の画像

 

そして、私は人生初のパパになりました。
長女が産まれたんです。

 

出産にも立ち会いました。
分娩室での妻のせわしなく喘ぐ声が途切れた途端、
甲高い産声が上がりました。

 

医師が
「女の子ですよ。おめでとうございます。」
と声をかけてくれました。

 

生まれたばかりのわが娘を、初めて抱いたときは、不覚にもポロポロっと涙をこぼしていました。
子供は予想以上に本当に軽くて、小さかった。
でも、私の腕の中で手足を懸命に動かしていました。
50代も半ばになる年齢で元気な子供を初めて持てたことに感謝しました。

 

この子と嫁さんをしっかり養わければいけない。
そう誓いました。

 

新しい命の誕生は、とてつもないパワーを秘めています。
面倒なことや手間のかかることが大嫌いな私に、
家族を幸せにするんだと決意させたのですから。

 

嫁さんが妊娠したことを知った時に、私はダンスを一旦やめることにしました。
社交ダンスはレッスン代、衣装や靴代、教材費、競技会出場費用などお金がかかるからです。
それに、新妻を家に置いたまま、
自分だけ他の女性と踊りに行くのは気が引けるということもありました。
しかもダンスの練習は大抵、夜。
これでは、嫁さんや、彼女の両親にもいらぬ心配をかけてしまう恐れもあったからです。

 

 

最初の女の子が生まれた頃(今はもう一人の男の子がいます)、
私の仕事、整体院は経済的に苦しくなり始めていました。

 

私の住んでいる田舎町にも接骨院や治療院がどんどん増え、
不景気のあおりも受け、
収入はどんどん下降していきました。

 

子供も二人目が生まれて、
家計はかなり苦しい状態に。

 

このままではいけない。収入を増やす方法を考えないと大変なことになる。
何か自宅にいながら、稼ぐ方法がないかとネットで情報収集している時に、
アフィリエイトに出会いました。

 

アフィリエイト作業の画像

 

アフイリエイトは、パソコン一台で稼げると書いてあったので、すぐに始めました。

 

最初は、ネットで気になる情報を検索することと、
友達にメールのやり取りをする以外のことは全くできなかった状態でした。

 

まず無料ブログにひと記事だけを投稿する方法でアフィリエイトを開始しました。
売りたい商品の広告バナーを貼る方法を覚えたり、簡単な画像の加工ができるようになったり、
少しずつ出来ることが増えていき、夢中で楽しくブログを作っていきました。

 

でも、報酬はすぐには上がりません。
何ヶ月かは稼げない状態が続きましたが、
初報酬を得たときは、本当にパソコンで稼げるんだと実感しました。

 

全く稼げない時期のこと、少しずつ稼げるようになつた方法などは、
これからブログに書いていきますので、読んでみてください。

 

色々な失敗をしたおかげで、結構なノウハウが蓄積できましたから。
かなり参考になると思いますよ。
「えーっ、そんなことをやっていたの ?」
「なるほど、そうやれば良いのか !」

 

あなたの知りたいこと、
悩んでいることをどんどんブログに書いていきますので、
しっかり読んで役立ててください。

 

絶対に稼げるようになりますから。

 

 

そんなわけで、私は、
サイトの作り方が分からなくなって何日も悩んだり
一生懸命作ったブログに訪問者が来なくて行き詰まったり、
何十日も報酬が上がらずに落ち込んだりしていました。

 

色々ありましたが、
アフィリエイトを辞めなかったおかげで、
少しずつ成果が上がるようになってきました。

 

どうすればアフイリエイトで稼げるかが分かってきたのです。
とにかく、アフィリエイトは諦めずに続けることが一番大切です。

 

 

今後は、
私自身も報酬を拡大しながら、
これからアフィリエイトで稼ぎたい人たちの役に立つような情報を発信し、
ともに収入的にも人間的にも余裕のあるライフスタイルを目指したいと思います。

 

 

◆◆◆ このブログの目的 ◆◆◆

 

◆ アフィリエイトで楽しく稼いでいく方法を伝える。
辛いことや楽しくないことは続けられないと思っているので。

 

◆ こんな人(わたし ようじろう)でもアフィリエイトで稼げるんだということを知ってもらい、あなたに自信と勇気を持っていただく。

 

◆ アフィリエイトの実践、勉強から得た情報をブログで伝えることで、
自分自身を向上させ、読者さんにも成長していただく。

 

 

 

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